お知らせ・店主ブログ
【ブログ】茶処のおはなし(その1)
こんにちは。八王子の日本茶専門店・網代園です。
全国各地で生産されている日本茶。
今回は中でも、鎌倉時代から続く茶処(ちゃどころ)
静岡・宇治・狭山の歴史についてご紹介します。
静岡茶の歴史
茶葉の国内生産量トップを誇る静岡県。
鎌倉時代の僧である聖一国師(しょういちこくし)が
当時の中国・宋から持ち帰った茶の種を
現在の静岡市足久保に播いたことが起源とされています。
江戸時代中ごろまでは、主に碾茶(てんちゃ※抹茶の原料)が生産され
駿府城に隠居した徳川家康公も愛飲したことで有名。
その後、京都で生まれた煎茶が伝わると、さらに茶の需要が高まり
清水港から外国への輸出も盛んとなりました。
明治以降は、大政奉還により職を失った幕臣たちが刀を捨て、
当時“不毛の地”と呼ばれた牧之原へ、茶畑を開墾することを決断。
彼らの努力により、牧之原台地は日本一の製茶拠点へと発展しました。
今では一般的になった「深蒸し茶」が生まれたのも、この地なんだとか。
牧之原のほか、富士山麓、安倍川・大井川流域の山間部など
県内の生産地は20を超えるそうです。
宇治(うじ)茶の歴史
京都・栂尾(とがのお)山の高山寺は、
日本茶発祥の地といわれています。
臨済宗の開祖・栄西(ようさい)より
茶の種を譲り受けた明恵上人(みょうえしょうにん)が
日本初の茶園を開いたのがはじまり。
栂尾産の茶は天皇に献上されるほど良質だったことから
宇治をはじめとする周辺地域へ、生産が広がっていきました。
当時政治の中心であった京都に住む貴族・武家を中心に、
お茶を用いたゲーム(闘茶・茶歌舞伎など)も流行。
有名な茶人・千利休が発展させた茶の湯文化も、
日本茶が普及していく大きなきっかけとなったことでしょう。
宇治では、天下人・豊臣秀吉らの庇護を受けながら
茶園に覆いをかけて育てる「覆下(おおいした)栽培」を開始。
旨みを存分に引き出した葉は、現在も抹茶や玉露用に重宝しています。
また江戸時代後期、宇治出身の永谷宗円(ながたにそうえん)が
「蒸し煎茶製法」を発明し、これも宇治茶の盛業へ貢献しました。
ちなみに、宇治茶の産地は市内に限らず
京都の他地域、奈良、滋賀、三重などでも生産が行われています。
狭山(さやま)茶の歴史
埼玉県を主産地とする狭山茶のはじまりは、
川越の僧・慈覚大師 円仁(じかくだいし えんにん)が伝えた
高山寺の明恵上人が武蔵河越の地に栽植した
など、いくつか説があるようです。
南北朝時代、現在の京都・静岡などと並び
五大銘茶場のひとつに数えられた武蔵河越。
戦国時代の混乱によって一時は衰退しますが
江戸時代後期、永谷宗円考案の蒸し煎茶が伝わると、
現在の狭山茶につながるお茶づくりが復興していきます。
狭山地域は、茶生産の経済的北限ともいわれます。
寒さに耐えるべく、厚く育った葉肉にしっかり火を通すため
通常よりも高温での火入れが行われていました。
この仕上げ技法を「狭山火入れ」といい、
火香豊かな味わいは、狭山茶独自の魅力です。
主な産地は、県西部の入間市、所沢市、狭山市を中心とする狭山丘陵地域。
気候などの条件から年2回ほどしか摘採されず、流通量は多くありませんが
質にこだわった生産が続けられています。
まとめ
ざっくりとしたご紹介になってしまいましたが、
いかがでしたでしょうか。
機会があれば、他の茶処の歴史も調べたいと思っています。
ぜひお楽しみに。
それでは皆さま、すてきなお茶時間を。